なぜ物語を作るのか
この広い世界にはたくさんの考えや概念がある。この世界は大きな意味のネットワークだ。意味がたくさんあるだけでは意味を感じづらく、むしろ意味が多すぎることで虚無を感じることがある。全てが存在するなら何もないのとどう違うんだろうと思ってしまう。だから一部の概念や考えを選んでまとめることで、人類の無数のアイデアをある範囲に絞り込むことができる。これをやるための道具を文脈と呼んでいる。私が言う「物語作りをやりたい」は、「文脈を作りたい」と言い換えられる。無数のアイデアが存在する世界から、特定の範囲の意味だけを切り取ってパッケージ化して並べていくのをやりたかった。そこで物語作りを選んだ。個人サイトも絵も良い形式だけど、しばらくは物語を扱う。
文脈を作ると言ったものの、作るというより空っぽの箱を用意して既知のアイデアを詰めるという向きが強い。文脈という名前の道具はすでにあるので、それを真似た空の箱を作り、箱の中でのバランスを考えて意味を拾い集める。生物学には創発という言葉がある。「文脈を作る」「意味のパッケージ化をする」という創作は、創発に近いと思う。
虚無は意味の濃度ではなく、拡大縮小度合いの問題だ。縮小しすぎて全てが相対的で抽象的に感じていると、現実で十分に意味のある具体的な事柄を見つけられなくなり、日常生活レベルで虚無が広まる。そのため、自分に合った拡大具合を保つのを目的に物語作りというタスクを用意して、毎朝起きる理由にする必要があった。物語作りという具体的な目的を持つことで、虚無を感じないくらいの拡大度合いを保つことができている。もし虚無を感じたければ意味のネットワークを縮小していくことで虚無感に戻れる。このように、虚無感も意味の感覚も広い世界に実際に存在するものではなく、この人間が感じている主観的な感覚だ。つまり、ここでは「この人間は意味のネットワークをどのような距離で見ているか」という問いの答えが虚無や意味の感覚だということになる。主観的な感覚を考慮しないモデルで生き続けるのはおそらくコストが高すぎるため、人生や虚無感への対処といった分野では採用している。